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コーヒーの鮮度

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コーヒーの鮮度

大家你好,我今天跟你們說沖咖啡的時候要準備的東西~   。。。台湾が恋しすぎて、つい中国語になってしまいました。   さて今日は、みなさんお待ちかね。今日こそ、今日こそ役に立つ知識をお届けします!!!(途中からマニアックな知識に走らない自信はないです)   今日のテーマは、 「家でコーヒーを淹れる時に必要なものはなに?」 ぱっと見、かなり実用的な知識ですね。ウンウン。     <必要なもの> コーヒー豆お湯ドリッパーフィルターケトルスケールグラインダー カタカナだらけですね。。決して横文字が好きなわけではないのですが、、日本語で書いてみましょうか。   珈琲豆お湯珈琲漏斗珈琲用濾紙珈琲用やかんはかり珈琲粉砕機   。。。 なんかわかりにくいですね。。やっぱりカタカナにしましょう。 一つずつ説明していきますね!     1.コーヒー豆 言わずと知れた主人公。これがないと、どれだけ高価な道具を揃えても意味がありません。コーヒー豆がないコーヒー抽出なんて、桃から出てこない桃太郎、ないしレモンの入っていないレモネードみたいなものです。虚空。 コーヒー豆の選び方は、こっちの記事がわかりやすいので是非ご覧ください。   なるべく新鮮なコーヒー豆がオススメです。 とコーヒー屋さんなら誰もが言います。ただ、今日はそこに「ちょっと待った」を言いたい。 僕ももちろん、売り物のコーヒー豆、ないしお店で出すコーヒーの鮮度にこだわってはいるのですが、最近コーヒーの鮮度=正義の構図についてはちょっと怪しく感じてきています。 というのも、コロナの影響で僕自身が台湾へ行けなくなり、家のコーヒーは台湾から送られてくる豆を淹れているのですが、国際便は送料もかなりかかるので、そんなに頻繁には送れません。なので最近は甘んじて、1ヶ月~2ヶ月前に焙煎したコーヒーも飲むようになりました。 ただ、それでも美味しいんです。 あーダメですね。今日こそは実用的な知識を、と思ったのですが、急にこのコーヒーの鮮度について語りたくなってしまいました。 というわけで、今日のテーマ変更。 「誰得?コーヒーの鮮度について」     コーヒーの鮮度 確かに、焙煎後1~2週間の香り高さは際立っています。2週間を過ぎると、ちょっとずつ香りが落ちていくのは、お店の豆のQCの時に感じました。ただこの微妙な違い、コーヒー屋さん以外に感じられるかはぶっちゃけハテナです。 例えばソムリエの人が「このワイン、ちょっと劣化してるね」と言っても僕には感じられないでしょうし、農家の人が「今年のトマトは少し甘みが弱いね」と言っても僕には分からないでしょう。まあ、僕お酒飲めないしトマトも嫌いなんですけどね。   ただし、2週間をすぎると少しずつ香りは落ちていきますが、逆に香りが落ち着いていくことによって味わいがマイルドになり、個性的で人を選ぶような豆も、美味しく飲めるなあというのが個人的な感想です。 今もまさに、2月末に焙煎したコーヒーを飲んでいるのですが、普通に美味しいです。コスタリカのレッドハニー、これほんと美味しい。(そりゃもうスタバなんて比じゃないですし、特に東京のスペシャリティコーヒーのお店のものと比較してもぶっちゃけ大きな違いはないです)   そうか、古くてもいいなら、スーパーで豆を買ってもいいじゃないか!と思った皆様、少々お待ちください。 スーパーで買うような豆、焙煎してから1~2年持たせるのを前提に焙煎、管理されているような豆は、そもそも古さのレベルが違いますし(僕のいう新鮮じゃないは1-2ヶ月、スーパーの豆は数年です)、豆自身のクオリティもだいぶ違います。劣化あるなしに関係なく、もともと美味しい豆は時間が経っても美味しいですし、美味しくない豆は時間が経っても美味しくないです。 その順位が時間によって逆転することは絶対にありません。     浅煎りor深煎り? ちなみに台湾では、浅煎りの豆は深煎りよりも日持ちすると言われており、結構な店が焙煎後1ヶ月ぐらい経った豆でも売ってたりします。  根拠はぶっちゃけ不明です。笑 ただ、浅煎りの方が、コーヒー豆本来の香りや味わいが残っている割合が多く、フレーバー(香り)の総量がそもそも多いので、時間が経ってその一部が失われても美味しく感じるというのは理由の一つでしょう。 あるデンマークのコーヒーロースターは、焙煎後1ヶ月後からが飲み頃だと言っていますし、先述の通り、台湾でも浅煎りの豆は寝かせる時間を長く取るのが主流です。ちなみに僕の実感値で美味しい、と言っているのも浅煎りの豆になります。   逆に、深煎りの方が長持ちすると言っている人もいます。時間が経っても味が変わらず、安定した抽出ができる、と言うのが彼らの実感ベースからの主張です。浅煎りだと味の変化が激しい、と。そもそも柑橘系などの軽いフレーバーは抜けやすいので、軽いフレーバーが味わいの多くを占める浅煎りは、劣化が大きいとのことです。 実例としてスタバは、シアトルで焙煎したものを世界中に輸出する際、船便を使うため長持ちさせるような豆にしなければならない、だから深煎りを選んでいる、とか。 ただ議論を見ていると、ほぼほぼ深煎りのポイントは「劣化=差」であり、焙煎直後と時間を置いたあとの差がどれだけあるかという所に終始しています。 一方で浅煎りは、絶対値として美味しいかどうかについて述べています。 なので、そもそも深煎りにした時点でかなりの部分のコーヒー成分、ないしフレーバーが抜けており、既に浅煎りの劣化に近いような状態になっている、つまりそこからさらに劣化するというポテンシャルが深煎りの豆にはほとんどない、という観点を入れると、ほとんどの人の意見が同じことになります。 浅煎り擁護派は、時間が経っても美味しいと言っているのに対し、深煎り擁護派は、時間が経っても変わらないと言っているわけです。 ポイントが全く違いますね。 つまりまとめると、浅煎りの方が「劣化=差」という意味では(深煎りに比べると)激しいが、焙煎後時間の増加に伴う品質低下の割合は深煎りに比べると多いいうだけで、そもそものフレーバーの総量が多く、かつ実はある程度時間が経ってもそれほど変化は感じられず、十分美味しく飲める。 深煎りに関しては劣化しないように見えるが、そもそも失いうる軽いフレーバーが最初から存在していないことによって、劣化が感じられにくい。という感じですかね。 スタバの豆も、劣化させないではなく、焙煎直後から味を変化させない、をQCの観点から重視しているのであれば納得ですね。  これらの議論は、基本的に実感値に基づく意見(美味しかった、美味しくなかった)をベースとしています。ただしもっと深掘りするためには、科学的観点(コーヒーに起こる化学反応ベース)が追加で必要で、ぶっちゃけその本当の仕組みについてはまだ定かではありません。。 浅煎りの方が焙煎の過程でできる二酸化炭素量が方が少なく、それが抜けていくスピードが遅くなるので、劣化が遅いとあるカナダのロースターは言っていますし、深煎りだと焙煎後に油がどんどん出てくるので、それが劣化を助長するという意見もあります。もしかしたら、そもそも浅煎りの方がコーヒーを科学的に分析した時に劣化率(差ではなく品質の絶対低下量)が少ないのかもしれませんし、わかんないですね。 最近は科学的なアプローチがコーヒー業界でも主流なので、科学者がそれを数値的に解き明かしてくれるのを期待して、今日はこの辺でやめときます。   あー結局マニアックな記事になってしまいました。。 申し訳程度に、ドリップコーヒーの淹れ方のリンクを貼っときますね。。   2.お湯について     これも説明しようと思ったのですが、心が折れました。次回にします。   では、良い週末を!

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レーダーチャートを追加しました(その1:風味編)

コラム 選び方

レーダーチャートを追加しました(その1:風味編)

それぞれの豆の詳細部分に、風味と味の特性を表すレーダーチャートを追加してみました。 (本当はシステムとかいじって比較とかできるようになったらもっと面白いなと思うのですが、そういう痒い所に手が届く的なのは、もう少し規模と利益が出せるようになって、外注やチーム作りができるようになってからかなと。。もしくは専門的な知識をお持ちの方手伝ってください。。笑)   一応、今までもベリー系の〜とかレモンのような〜とかコメント欄で言ったりしているのだけど、テイスティングをしていると風味ってもっと複雑で、ブルーベリーもあるけど紅茶感もあるしちょっと発酵した感もワインっぽいしなんなら蜂蜜感や微妙に麦の感じもあるなー、とかなんか色々とあるのですが、それを全部書いてると複雑でわけわかんない説明になってしまうし、それぞれの個性がよくわからなくなってしまうなと思っていたので、言葉で説明できない部分を数字にして表すことにしました。   レーダーは2種類、風味の部分と味の部分で分けて作っています。パッとみてもわかるようにはしていますが、もう少し細かく知りたい方のために、2回に分けて風味と味の説明をブログで一緒にしちゃおうかと思います!     今回はまず、風味編です。   柑橘:     レモン、オレンジ、グレープフルーツなどの酸っぱい爽やか系フルーツ。 酸味の印象とつながることが多く、酸味系のコーヒーは、レモンとかグレープフルーツ系の香りが顕著です。ケニアやエチオピアなど、アフリカの豆で多いなと思うのが、酸っぱい系の柑橘。レモンやグレープフルーツ、柚子など。逆に中南米の柑橘は蜜柑やオレンジピール(皮)のような、甘くて優しい柑橘系のイメージを感じることが多いです。     ベリー:     苺、ブルーベリー、ラズベリー、クランベリー、カシス、ザクロなど。 明るくて甘い酸味、と表現されることが多いこの分野。ケニアやエチオピアの豆で顕著ですが、ものによってはグアテマラやコスタリカ、コロンビアなどでも感じることがあります。ケニアで感じるような酸っぱい系ベリー(カシスやクランベリー)と、エチオピアやナチュラル製法の豆でよく感じる甘めのベリー(苺やブルーベリー)でもちょっと違いがあるので、よく味わってみると面白いかもです。     ドライフルーツ:     レーズン、プルーン、デーツなど。 凝縮された甘さとつながる印象。キャラメルや蜂蜜のような甘さではなく、フルーツのような爽やかで、かつ濃い感じの甘さを感じる風味です。豆でいうと、中南米のものに多い印象がありますが、ブルンジでも感じたので一概には言えないかもです。     熱帯フルーツ:     パイナップル、マンゴー、パッションフルーツ、バナナ、ライチなど。 イメージとしては、発酵感のあるフルーツ感。ふわっと口の中で広がるけど、あんまり爽やかじゃなくて、濃厚で舌に絡みつくような甘さを感じます。ウォッシュドのものにはあまり感じることがなく、ナチュラルやハニー製法、かつある程度酸味がある豆(エチオピア、コロンビア、パナマのナチュラルなど)に多い印象です。     りんご、ぶどう、ももなど:   林檎、葡萄、桃、さくらんぼ、梨、プラム、杏など。その他のフルーツが書ききれないのでここにまとめてしまいました。笑 林檎や梨などのあっさりしたフルーツ感は、比較的すっきりとバランスの良いウォッシュドの豆、グアテマラやホンジュラスなどでよく感じます。桃や葡萄、プラムなどの甘く濃いフルーツに関しては、酸味が際立つエチオピアやルワンダ、ケニアなどのアフリカ系の豆で感じることが多いかな?という気がします。また葡萄はワインのフレーバーともつながるので、発酵感のあるナチュラル製法の豆で感じられることも多いです。     フローラル:     ジャスミン、ラベンダー、薔薇、紅茶など。 フローラルは、花ごとの香りに慣れていない僕にとってはかなり知覚が難しいカテゴリーです。笑蜜のように甘く、でも鼻からすっと抜けていくさっぱりさが特徴かと。分類上はここに紅茶の香りも含まれるのですが、香り&口当たりの強さで感じるお茶の感じと、香りが抜けていく一般的なフローラルは結構別物かと思っています。花の香りはいろんな豆で感じますが、グアテマラやエルサルバドルのようなコーヒーでは、甘い香りの花感、エチオピアのウォッシュドで顕著なのは、紅茶感と甘い花の混合された香りを感じることが多いです。     ナッツ、チョコ:     チョコレート、アーモンド、ピーナッツ、胡桃など。 甘く香ばしい香りが特徴。テイスティングでは”ナッティー”と呼ばれるカテゴリーです。焙煎が深くなればなるほど感じやすい種類の香りですが、浅煎りでも感じられる豆はたくさんあります。グアテマラ、ブラジル、エルサルバドルなど中南米の豆に多いイメージです。ナッツ系の甘い香りが強い豆は、酸味が控えめなものが多い印象もあります。(焙煎度の違いは別にしても)     蜂蜜、黒糖など:     蜂蜜、黒糖、キャラメル、メープルシロップなど。 これは、わかりやすく重めの甘さを感じるカテゴリーです。後味に現れることが多く、甘い後味はコーヒーの印象を一気に良くします。香ばしさが少しあるので、ナッツ系の香りとの相関性が高く、ナッツ系&蜜系のどちらも感じられるコーヒーが多いです。 ブラジルやエルサルバドルは、代表的なナッツ&蜜のどちらも感じられるコーヒーですし、逆にエチオピアナチュラルなんかは、蜂蜜感のある甘さが乗っかったりしています。でもこれも熱帯フルーツとつながっていたり。。。ああ複雑。     その他:     他にも、トマトやキュウリのような野菜系の香り、シダーや土のようなウッディ、アーシーと呼ばれる香り、藁や麦のような穀物系の香り、クローブやシナモンなどのスパイスの香り、など色々とあります。例えばインドネシアの豆は、アーシーと呼ばれる土っぽい香りが特徴的ですし、タイやインドの豆で香ばしいスパイシーさを感じたこともあります。ただ現状扱っている豆ではあまりこっち系統のものがないし、色々入れすぎてもごちゃごちゃするので、とりあえず省いています。     香りは、それぞれで捉えるのは結構難しくて、味覚とのつながり、香りの種類同士のつながりを意識しながら飲んでみると、もっとわかりやすく感じられるのではないかな、と思います。 酸っぱいな、と感じるコーヒーは、柑橘系、ベリー系の香りが立っているでしょうし、甘いな、と感じるコーヒーは、チョコ系や蜜系の香りを感じやすい、口当たりが強いものは、熱帯フルーツなどの重めのフルーツや蜜系の香りを感じやすいし、ベリー系を感じるなら、酸っぱさつながりで柑橘系もあるかも?とか、熱帯フルーツの甘さと蜜系の甘さは似ているので、どっちもあるかも、みたいな。 そんな感じで、色々味わいながら、自分の好きなタイプのコーヒーを探してみてください! もし台湾に来る機会があれば、一緒にカッピング(テイスティング)しましょう!新しい香りが発見できるかもです。

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【コラム】台南のコミュニティについて

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【コラム】台南のコミュニティについて

昨日はちょっとうざいお客さんが多かったり、連日、夜遅くまでコーヒーのレシピを考えたりしていて睡眠時間が足りてなかったりで疲れていたからなのか、営業終了後に久しぶりに(精神的に)ダウンしていました。 そんな時、急に仲良くしているコーヒー屋さんのオーナーから連絡が。「今からちょっと届け物しにいくね」そして、カッピングスプーンとカップをプレゼントしてくれました。「ほら、いつもカッピングするとき普通のスプーン使ってるでしょ?笑」って。   カッピングっていうのはコーヒーのテイスティングのことです。スプーンを使ってすすって味見をするんだけど、カッピング専用のスプーンは結構値段がするし、普通のちょっと深めのスプーンでずっと代用してたんだけど、最近他のコーヒー屋さんと一緒にカッピングをすることが多くて、やっぱちゃんとしたやつが欲しいな、と思っていた矢先。 彼的には、僕が焙煎機を貸したお礼なんだけど、そんなのはどっちでもよくて、こういう風なつながりって今まであんまりなかったから、なんかそれが嬉しくてほっこりしました。 (彼は今週末から焙煎の世界大会、台湾予選に出場するんだけど、そこでの指定焙煎機が僕の使ってるやつなので最近よく練習に来ていました。ちなみに僕は日本人なのでその大会には出られません。。残念)   改めて最近すごく感じるのは、台南のビジネス感の薄さ(いい意味で)。例えば台北や東京もそうだと思うんだけど、基本自社と競合ってのははっきり線引きしていると思っていて、それなりに気にしていると思うんだけど、台南ってその感覚が皆無。 お客さんや競合となりうる人に対して、アドバイスはするわ、平気でレシピを公開するわ、人や業者を紹介するわで、たまに大丈夫なんかいなって思う。笑 最近の自分の例でいくと、他のコーヒー屋さんの焙煎士と焙煎データや理論、仮説を共有してどうやったらもっと美味しくできるか議論したり、互いの焙煎した豆を一緒にカッピングして評価したり、コーヒー抽出のレシピも色々と設定を変えながら実験したり、新しい生豆をオススメしあったり、従業員の教育や利益構造についてざっくばらんに話したり。笑 損益が発生する間柄にもかかわらず、その損益を無視できる、そんな関係がとても心地よいです。お互いにコーヒーが好きすぎて、どうやったらもっと美味しいコーヒーが作れるかを考えるのが、金銭的な利益がどうこうよりも上位のモチベーションで、単純にお互い楽しいのだと思う。 多分台南の他店の人たちも、「好きで」店をやっている人が多いし、オーナーが店に立っていることがほとんどだから、その意識って結構大きくて、オープンにすればするほどプラスになって返ってくるっていうのを本能的に感じているのかも。 だって自分が一生懸命考えたことに対してフィードバックがもらえるということは、さらに進化できるということだから。コピーされるリスクよりも、さらに進めるメリットを取るんじゃないかな?まあ、もしかしたら何も考えてないだけかもだけど。笑 この点、日本は本当に閉鎖的だと思っています。それをすごく感じるのが、コーヒー焙煎に関する情報の少なさ。焙煎理論やレシピなんて、絶対に日本語で探しても出てこないし、基本英語でアクセスしないとどうしようもない。逆に英語や中国語だと、オンラインスクールの動画が無料で公開されていたり、学術的な理論が公開されていたり、焙煎時のデータを公開して議論している掲示板やサイト、facebookグループ、instagramのアカウントなどが死ぬほど出てくる。こういうのがもっと日本でもオープンになっていけばいいのになって本当思う。   まあとにかく、台南はいろんな人が自分で開業しやすい環境がすごい整っていて。コストが安いのは前提として、助けてくれる人がいるっていうのが大きい。 経験がなくても教えてくれる人がそこら中にいるし(そもそも友達や友達の友達が自営業なんてざら)、物件や業者の紹介、設備のオススメや中古器具の仲介、そういうところまで普通に教えてくれたり手伝ってくれたりする。実際に開業したあとも、その人たちがお客さんを紹介してくれたり、アドバイスをくれたりするし、お店同士のつながりでイベントをしたりするのもよく見ます。   まあ物事は、ポジティブな面があれば、ネガティブな面もあるもので。逆にいえば、とてもフレンドリーでオープンだけど、それは友達の間柄に限られる、ということ。そこの情報網がなく自力で探すのはかなり困難で、台南に知り合いや友人がいない状態で何かを始めるのは、相当根気と運が必要。(だから僕はめちゃめちゃ苦労した)仲間意識が強いのかな?国民意識?市民意識?ナショナリズム的な側面もあるのかも?  そして、その仲間意識に違和感を感じることも結構あります。店によっては常連(友達)と普通のお客さんで態度がめちゃめちゃ違ったり、個性や自己努力ではなくただインフルエンサーとのつながりで集客できてしまったり、つながりで店の評価が大きく変わったり、、、つながりによって得られる情報やものの差が大きすぎて、公正感を感じられないだけでなく、閉鎖的でつまらない場所が増えていっている印象です。さらに残念なことは、人によってはそのつながりを得ようと躍起になっている感じを受けること。(まあ一番残念なのは、それを”メリット”と感じてしまわざるを得ない今の環境なのだけど)   これがいいのか悪いのかってのは、よくわかりません。ただ僕が感じるのは、人と人との距離がすごく近くて、色んなことにチャレンジしやすい街であること。でもそれは諸刃の刃的なところもあって、そこに近づくのにはハードルが高かったり、明らかな不公平感が発生しているということ。だから、つながりを大事にしながらも、一方でそれがなくても自分の価値を定義する努力を怠らないことが、重要なのかなと思っています。 最近はSNSなどであやふやになっていますが、僕は、人間の面白さは見た目や肩書きではなく、人生経験から作られた、その人ならではの考え方や価値観的なところにあると思っているので。

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【加加家珈琲】コンセプトについて

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【加加家珈琲】コンセプトについて

この間は、コンセプトのない店が、とかとやかく言ってしまったので、改めて、加加家のコンセプトについてお話しようかと思います。笑 まずは、名前。名は体を表すとも言うぐらい重要なポイントです。 「加加家」 中国語読みで「ジャジャジャ」と呼びます。漢字の意味は日本語と同じなので、単純に「加わる+加わる+家」という意味です。   最後の「家」に込められているのは、店のようではなく、家にいるような気分を味わってほしいという気持ちです。 家に遊びに来たかのようにリラックスしてほしい、友達同士のような、店員とお客さんの関係性でありたい、値段や時間、他人の目など、変な気を使うことなくいつでも来られる場所でありたい、商売感ではなく、おもてなしの心を大切にしたい、 そんな意味が込められています。 そして、その前の2つの「加」。加わる、というのは、お客さんや、店員、いろんな人がここにやって来て、その化学反応で空間(家)が出来上がる、という意味。 場所や空間というのは、その時いる人によって作られるものだと思っていて、いろんな人が集まることでコロコロと顔を変えるような楽しい場所になったり、お客さん同士につながりが生まれて、何か面白いことが起こったり、そんなものが生まれる場所でありたい、という思いを込めました。 また「ジャジャジャ」は台湾語で、「こっちこっち」や「食べて食べて」という、ウェルカムな気持ちを表す意味を持っています。 台湾は中国語の国だと思われている方が多いと思いますが、もともと台湾語が共用語であり、かつての首都台南では、今でも当たり前のように台湾語が使われています。というかある程度の年次まで行くと、むしろ中国語が話せず、台湾語のみという方も多くいるほどです。 「お客さんを差別することなく、誰でも気軽に来られる場所」というのがコンセプトの一つなので、台南でやる以上、台湾語の意味を加えたかったこと、また変にクールな名前ではなく、覚えやすく、親しみのある名前をつけたくて、「加加家(ジャジャジャ)」という名前をつけました。   この名前、コンセプトを元に、店舗の内装やメニュー、お客さんの体験に関わるもの全てを決めています。   <物件&場所> 物件探しの時に一貫して決めていたのは、 *古民家であること(台湾の伝統的な建築形式が残っていること)*大通りに面していないこと*市の中心部にあること の3つです。(もちろん予算とかも相当考えてます笑)   家感を出すのに、明らかに店だなと思うような物件は嫌でした。ガラス張りの入り口とか、レールやスポットライトのあるような感じは落ち着く家ではないので、あくまで以前家だった物件を改装する、というところにこだわりました。 また、大通りに面していては騒音の関係で落ち着かないし、普通家ってそういう場所にあるものではないと思うのと、かといって郊外の離れた場所に位置してしまってはアクセスが悪く、いつでもいける場所にはならない。大通り沿いではないけど、アクセスの良い場所。そのバランスをとることも意識しました。 相当苦労しましたが、それらに適する物件を台湾移住5ヶ月目でやっと見つけることができました。   ちなみに台南の基本移動手段は原付で、駅やバス停を意識する必要がなく、かつカフェに行く時には事前に調べてから行く傾向にあるので、路地裏の見えにくい場所でビジネスをしても、SNSなどで集客手段が確保できれば問題はないです。そういう意味では、物件のロケーションに関してはかなり柔軟に決めることができました。   <内装> 落ち着いた家感を出すために、色はほぼ白(黄色味のあって温かい白)と、ウォールナットのような深い茶色の2色しか使っていません。そして台湾の古民家は壁がコンクリートなので、冷たい印象を与えないよう、凸凹感があって光を反射しにくい、珪藻土を使用しました。 また、電飾には和紙を使用したり、電球の色を暖色かつ暗めにすることで落ち着きのある空間をイメージし、かっこいい印象を与えつつも、冷たいクールさにならないことを意識しました。 客席は全て畳。座布団を敷き、おばあちゃん家の座敷にいるような気持ちになる設計をしています。また客席に上がるには靴を脱がなければならず、それもさらにリラックス感、家感を感じさせる狙いがあります。 ただし、完全に和風にしては台湾でやる意味がないので、台湾の古民家特有の石の階段や天井の装飾、石畳のような床はそのまま残し、和台折衷、地元の人にも受け入れられやすい雰囲気を残しました。 席は、掘りごたつ風のカウンターのみ。 (今はビジネス的な必要に駆られて仕方なく増席しましたが、、、) 来た人は、全く知らない人と隣り合わせで座らなければなりません。隣の人とテーブルも座席もシェアしなければいけないことで、お客さん同士の距離感を近づけ、壁を壊す意図があります。 そしてバリスタも、1mのテーブルを挟んでほぼ同じ目線感になるような高さの座席になっており、かつテーブルも仕切りがなく、バリスタとシェアです。席を分けたり、テーブルを区切ったりしないことで、お互いがお互いの距離を意識し、つながりを生みやすい環境を目指しました。 カフェとしてこのスタイルをやっている店がないので、受け入れられるか不安はありましたが、小吃(ローカルレストラン)のお店を見てみると、お客さん同士が席をシェアしあったりするなんて普通だったし、フレンドリーなカルチャーの中では絶対に受け入れられる土壌があると思い、思い切ってカウンターのみに振っちゃいました。   今ではここで友達になった人同士が、一緒にご飯を食べに行ったり飲みに行ったり、自分たちもお客さんと一緒に他のコーヒー屋さんに行っておしゃべりしたりするのが普通になっています。 (今となってはむしろ、席のシェアは台南では絶対に受け入れられる土壌があるはずなのに、なぜ他のカフェたちが独立席しか設けていないのかが不思議に思うほどです。笑)   <コーヒー> コーヒーのクオリティには妥協はしてませんし、豆も機械も超一流のものしか使っていません。でも、うちのコーヒーは他のお店に比べて20-50%ほど安めです。もちろん利益的な計算はした上で、ギリギリの低めの値段設定を目指しました。 というのも、台湾のコーヒーの値段は日本、東京より高いほどで、台湾の平均給与や物価から考えても、明らかに毎日気軽に飲めるようなものではなかったからです。   持論ですが、コーヒーは特別な飲み物ではなく、ちょっと落ち着きたい時や、考え事をしたい時、友達と話をしたいときなどに気軽に飲めるものであるべきだと思っています。そうすると、他の競合カフェの値段設定ではそれは絶対に成し得られない。(金持ちを除く)ので、下げました。 (そしてこれが、他のカフェオーナーたちの反感を結構買ったようです。初めの頃によく偵察に来ていた他のカフェの人たちが、口を揃えて文句を言ってきました。笑) ただし値段を下げることで、品質イメージの悪化があることには気をつけました。 人は、安かろう悪かろう、と思うものです。 メニュー上のコーヒーの説明の仕方を、農園や処理法など詳しく記載することで品質への意識を発信し続けること、お客さんの質問に全て答えられるように知識を身につけること、またトップクオリティのコーヒーショップが使っている機械を海外から輸入、導入し、入り口から見える位置に設置することで、コーヒー好きの興味を引きました。彼らが味や品質について発信してくれれば、僕たちが言うよりも第三者視点で説得力があると思ったからです。 これも狙い通り、台南では珍しい最新鋭の機械を導入したので(そのおかげで貯金が底をつきましたが)、安い値段なのにも関わらずコーヒー好きがこぞって集まり、今では台南を代表するコーヒーの美味しい店との評価を受けています。   <メニュー> 他のメニューに関しても、家でおもてなしをするのがコンセプトなので、他の店が作った出来上がりのものを買ったりすることはせず、飲み物から食べ物、デザートまで、全て手作りのもの、コーヒーも自家焙煎のもののみを使用しています。 それどころか、テーブル、畳の席、珪藻土作業、塗装、水回りの工事も全てDIY、メニューは手書き、コーヒー豆やその他のパッケージも全て手書きものから自作しています。笑   また台湾では珍しいのですが、時間制限と、最低オーダーの壁を取っ払いました。(これも今でも色んなところで論争を生んでしまっています。笑) ほとんど全てのカフェでは、最低オーダーしなければいけない量or物が決まっていて、それは何も頼まずに居座るお客さんが非常に多く、それを防ぐためになります。 ただ、僕はそのリスクをとってでも、気軽に来られる店を作りたかったこと、またそれを設定してしまうことが、お客さんを第一に考えるコンセプトを作った気持ちを裏切ることになり、一つでもそういう妥協を許してしまうと、どんどん崩れていきそうで(ビジネス上の利益がコンセプトよりも上位になってしまいそうで)、怖くてそのまま堅持しています。 そもそもこういうのは、マナーを守らないお客さんを基準に考えて設定されるのですが、それが良いお客さんの不利益を生むことも多々あります。 自分は良いお客さんを基準に考えたいと思っています。お客さんを信じないことで、良いお客さんに対しての不利益が発生するぐらいなら、お客さんを信じることで、それを悪用しようとする人たちが生み出す不利益を自分が被った方がましだと真剣に思っています。暑苦しいですね、すみません。笑   <サービス> 家でのおもてなし、なのでサービスのクオリティにはかなり気をつけています。 台南のカフェは、水やメニューがセルフサービスだったり、自分で注文にいくところが多かったりするのですが、うちはお客さんの水の量に気を配って足したり、注文はこちらから聞くようにしています。 また、細かいですが食器を置く位置や、スプーンの向きなどお客さん視点でストレスのないようにするところはもちろん、一つ一つの動作の優雅さ、綺麗さ、流れるようなスムーズさみたいなところには結構気を使っています。 それに、もの(ドリンクやケーキの仕上げ)はお客さんの目の前で作ることで、目でも楽しめるような体験を心がけています。特にコーヒーに関しては、コーヒー屋を名乗っている以上、クオリティの担保がないとただのコンセプトショップで終わってしまうので、プロフェッショナル感のある、作っている姿を見せることで、美味しそうだと思わせる見た目もかなり意識しています。 またお客さんに積極的に話しかけたり、関係ないお客さんを会話に巻き込んだり、他愛のない話をすることも、業務上で重点を置いています。   <日本感> これはコンセプト上では、家感のイメージがうちのおばあちゃんの家だったこと、というのはありますが、それよりも差別化戦略の一種という位置付けが強いです。 日本の感じが出ることはかなり意識しました。というのも、台湾での日本人気はすごく、日本のファッション、食、音楽、伝統、様々な分野まで日本の人気は浸透していて、台南でも日本感を模した店がいっぱいあります。(ただその中で実際日本人がやっている店はほぼありません) なので、そもそも自分の存在自体が差別化、マスコット化できると思い、日本感は結構強めに打ち出しています。そして、さらに尖ったものにするために岐阜を意識しています。笑 畳や珪藻土、のれんや和装、お香や抹茶、ほうじ茶のメニューに、富士山をかたどったパウンドケーキに始まり、美濃和紙の名刺や照明、美濃焼のカップや抹茶碗など、自分の出身地である岐阜をあえてアピールすることで、品質的な分かりやすさに加え、ものを通して自分への興味をも喚起しました。   結果、雑誌や新聞で紹介されたり、インスタなどの投稿も「岐阜出身の加藤さん」「日本人が開いたカフェ」みたいなのがかなり大々的に言われるようになりました。笑 特に雑誌やウェブの記事系のものでは、すべて第一文がこんな感じなので、やはり日本人のイメージの良さと、特別感を感じる結果となりました。(なので、開業したい日本人、ぜひ台南に来てください!笑)   店を立ち上げる中で、ビジネス的な制約(上から落ちてくる売り上げや利益のターゲット、株主やそれに伴うもの)から離れることができたので、かなりコンセプトに対して愚直に作れたなと思っています。 もちろんお金が絡むことなので、開店までの時間制限や利益ターゲットなどはどうしても生まれてくるとは思いますが、こうやって色々考えるのが、自分で何かを立ち上げる上で一番面白いのになーと思っています。   またすごい最近なのですが、昨日またコンセプトのないカフェのインスタを見て、残念な気持ちになりました。。。 せっかくやるのなら、なんでもっと突き詰めて考えないのかなと不思議でならないし、何よりも見てくれの良さでお客さんを惑わすのを本当にやめてほしいなと思います。店とお客さんとの間には絶対的な知識レベルの差があるので、お客さんは惑わされて当たり前なんですよね。。   マーケティングって、そのものの能力以上に良く見せることでもなく、ないものをあるように見せることでもない。それはマジシャンの仕事だって、この間みたコナンの映画でも怪盗キッドが言ってました。(ちなみにそのタネを暴くのが探偵の仕事らしいです。さあ、皆さん探偵になりましょう!!) ものや人が本来持っている価値と、それを必要としている人をつなぐ、と言うのがマーケティングの本来の役割だと僕は思っていますし、何があっても、そこから離れないような仕事をしたいですね。

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【コラム】最近オープンした店を見て思ったこと

コラム

【コラム】最近オープンした店を見て思ったこと

めずらしく、あんまりポジティブじゃない記事です。笑 自分の頭の思考整理のために書いたので、よかったら見てください。     最近台南で、コンセプトを感じられないコピーのような店が増えている印象です。 新しい店ができても、どこかで見たような内装だったり、コンセプトだったり、 メニューだったりで、何でお店開いたんだろって思うような場所が多い。   自分で店を開けるのに、台南は物理的・精神的なハードルがともに低いです。 お店を開いている人とのつながりが得やすく、アドバイスを受けやすいし、 自身で開業する人に対する尊敬も強いので、変な圧力も感じない。 さらにコスト的、法的にも日本と比べると ものすごく開店、開業しやすい環境があります。   ただ一方で、それが安易で適当な店を生んでいる気もします。 「ほら、店開くってカッコイイじゃん?とりあえずやってみるか?」的な。 色んな人に実際に話を聞いたのですが、 店をやりたいのに何売るかは決めてない、コンセプトも決まってない、 って平気な顔で言われたりします。   自分としては、少なくとも自分で店を開ける、 ビジネス、ブランドを立ち上げる、という行為の裏には、 自分が体現したい強い想い、 ないしは現状はびこっている課題に対する強烈な反対感情があり、 それが既存のサービスでは対応不可能、もしくは不十分であるからこそ、 あえて自分でやる道を選ぶのかなと思っていました。   だから、僕は自分で動いて何かを作りあげる人間を尊敬するし、 その人の考え方や、歩んできた人生にとても興味があります。   それとともに、自分がいいなと感じるものは、 売っているもの・サービスそのものの魅力はもちろん、 そこに作り手の思想なり、人生経験が深く反映されていたり、 そのブランドが目指している世界が明確で、その意義を感じ取ることができる、 そんなものであることが多いです。   でも最近開いた店を色々見ていると、 作り手のやりたいこと、体現したいことが全く見えず、 もしくは言っているものの細部がそれに伴っておらず、 ただ見た目がいい、インスタ映えするようなものになっているのをよく見ます。 そして、見た目がいいという理由で意味なく値段が高いです。   さらにそのような店のいくつかは、有名なデザイナーが関わってたり、 有名な店、ブロガーとか、影響力のある人たちが SNSを通じて拡散することによって集客を成功させ、 人気店となっています。   見た目やデザイン、そしてSNSなどを通したマーケティング活動というのは、 自分はあくまで手段であると思っています。 まず、達成・実現したい理念があり、それを体現するための手段として、 デザインやマーケティングはあるべきだと。   ただ最近よく見るのは、手段が先行し、 中身のない、ぱっと見良さげなものが注目を浴びていることと、 さらに残念なことに、そこに流れてしまう人がとても多いという現実です。   本当に良いものってなんだろう、と考えます。 そもそも、ものの価値って一般化できるものではなく、 それぞれの人のニーズや、思想・哲学的な内面部分によって変容するものだと。 簡単にいうと、その人の好きなもの、共感するものであれば価値が高まり、 そうでないものは価値を感じられない、 そんな、決まった正解のないものだと思います。 だから自分も、何か特定ものについての価値を啓蒙する気はさらさらありません。   ただ自分が危惧しているのは、 本当に良いものの価値を判断するのは、自分自身であるはずなのに、 他人目線の、単に見た目がいいものに取られているのではないか、 つまり消費者側の自己理解不足や、SNSを含めた他人目線での価値判断が、 本質的な良さに対する感覚を薄めてしまい、ついには 自分の好きなもの、嫌いなものすら判断できなくなっているのではないか、 ということです。     ただ色々と見ていると、時々ふと、 消費者の大多数は現状間違いなく”そっち側”、流れで動くフォロワーたちであり、 そこをターゲットとした方が安定したビジネスを展開できるのではないか、 とか普通に思ったりします。 というか、その方がすでに顕在化しているニーズを追えるので楽な気もします。   でも、現状ウケるものをただ作るのでは何も世界は変わらないし、 自分でやる意味なんてそれこそ何もないので、 使うとしても、手段としてその層を利用するにとどめ、 そしてそのうち”こっち側”が世界の正となることを祈りながら、 自分の理念を突き通していきたいなと改めて思いました。    

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